【プロフィール】
塩田 千春 (しおた ちはる)
1972年、大阪府生まれ。ベルリン在住。生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求しつつ、その場所やものに宿る記憶といった不在の中の存在を糸で紡ぐ大規模なインスタレーションを中心に、立体、写真、映像など多様な手法を用いた作品を制作。
2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。
2015年には、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表に選ばれる。
2019年、森美術館にて過去最大規模の個展『魂がふるえる』を開催。
2020年、第61回毎日芸術賞受賞。
塩田 千春 (しおた ちはる)
Chiharu Shiota
Berlin, 2024 Photo by Sunhi Mang
(家から家)2022年、岸和田市立自泉会館、日本
撮影:k.yoshino
©️JASPAR, Tokyo, 2025 and Chiharu Shiota
Interviewer:Kunio Yoshino, Managing Director
Osaka Research Foundation for Regional Development
吉野:この度はご出身地の大阪で、国立国際美術館での個展以来16年ぶりの大規模個展、ようやく実現しましたね。塩田様は大阪を大変大事にされていますが、2016年の港南造形高校でのご講演や岸和田市での2020、2022年の個展などをされています。とりわけ今年の中之島美術館は、私がお目にかかった岸和田市での個展「家から家」からつながる故郷に対する思いが集約されたような印象があります。まず最初に、この度大阪中之島美術館で行われた大規模個展「塩田千春 つながる私(アイ)」についてお聞かせ下さい。
塩田:
そうですね、東京の森美術館での個展「塩田千春展:魂がふるえる」の後にパンデミックがはじまり、10個の展覧会が延期やキャンセルになりました。
”ステイホーム”と言われ、家でドローイングをたくさん描き始めました。300枚までは数えていましたが、そのあとはもう数えていません。パンデミックで国境が閉じられる中、森美術館の個展はずっと巡回を続けて国同士の軋轢に関わらずアジア太平洋地域の様々な国をまわり、現在ではヨーロッパでの巡回が始まるところです。パンデミックで人との距離を置くことを強制されたことでこれまでいかに色々な人とつながっていたかを実感して、中之島の個展ではこのことをテーマにしたいと思いました。
地元大阪での開催だったので、家族や友人がたくさん来てくれましたし、何よりも母が喜んでくれました。母が友人と一緒に作品に使っている毛糸を使っていちごの形をしたタワシを作ってくれて、ショップで販売させてもらうことになりました。大阪以外の展覧会ではなかなかこういったことをしようと思わなかったかもしれません。そういった意味でもこの展示は特別なものになったと思います。
《つながる輪》 2024年、大阪中之島美術館、日本
撮影:k.yoshino
©️JASPAR, Tokyo, 2025 and Chiharu Shiota
吉野:そうだったのですね。「つながるたわし」は会期中に完売されましたが、今回のグッズ販売は、現代アート展としては異例なほどアットホームな感じがして大人気でした。中之島美術館で広報物のデザインを担当したデザイナー・高見清史さんのトークイベントをされるなど、地元ならではの展覧会になっていると感じました。
ところで、1998年に移住された旧東ベルリンで、廃墟となった建物に並ぶ窓にインスパイア―され、2004年のセビリアビエンアーレで作品にされました。私も拝見した2009年越後妻有の空き家プロジェクトの《家の記憶》、2019年「塩田千春展:魂がふるえる」での《内と外》など、「窓」をモチーフにした作品が多く、特別の思いをお持ちなのではと感じていますが如何でしょうか。
塩田千春の母&フレンズ特製!つながるたわし(特設ミュージアムショップで)
塩田:私が拠点をベルリンに変えたのが1998年頃でしたが、そのときは街のあちこちで建設工事が行われていました。工事現場に取り外された窓がずらりと並べられているのをいろんな場所で見かけたので、これで何か作品を作りたいと考えました。ベルリンの壁の崩壊から9年が経っていましたが、まだ街は混沌としていて、多くの空き家が残っていました。また、海外に住むようになってから「皮膚」の存在を強く意識するようになりました。第一の皮膚が人の皮膚だとしたら第二の皮膚は衣服、そして第三の皮膚は居住空間と言えるのではないかと思いました。窓は居住空間の内と外の隔たりにある存在として興味深く、その後よく作品にも使うようになりました。
《フロム - イントゥ》2004年、第一回セビリア現代美術ビエンナーレ、スペイン
Photo by Sunhi Mang
©️JASPAR, Tokyo, 2025 and Chiharu Shiota
吉野:なるほど、窓は第三の皮膚、家の開口部という意味では出入り口であると同時に外界を遮る。同時に光や風を通すので透明な皮膚かも知れませんね。
塩田:家は生活空間を守るものとしての存在で、Home is where your heart is. (故郷はあなたの心にある)という言葉にもあるように、家は心の奥底にありいつも自分と繋がっているものだと思います。今回の個展では、生まれ育った大阪での個展ということもあり”Home”をテーマにした作品を展示しました。大小さまざまな家型のフレームが赤い糸で編み込まれている《家から家》という作品です。赤い糸は家族の絆を結ぶものかもしれないし、社会という「家」の中で人と人をつなぐ見えない線かもしれない。人は家を出て家に帰る。それは人間だけでなく、あらゆる生命体の宿命なのかもしれません。
吉野:窓から家、そして「糸」がつながってきました。糸を巡っては、1994年に《DNAからDNAへ》での赤い糸を使われて以来、今年は丁度30周年に当たります。2002年シュトゥットガルト 《静けさの中で》、2009年越後妻有《家の記憶》、2019年グロピウスバウ《記憶を越えて》の白など、糸は色とセットで意味合いが違うと思いますが、そのあたりはいかがでしょう。
塩田: 赤い色はいろいろな意味を持っています。人と人を繋ぐ赤い糸、運命の赤い糸、血液...血液の中には国籍、家族、宗教などが含まれますし、それらが混ざり合ってあらゆるつながりを表現できると思っています。黒は最初にドローイングを空間に描きたくて使った色で夜の空や深い宇宙を表します。白はパリのボンマルシェでのプロジェクトで初めて使いましたが、始まりの色としてピュアなもの、または亡くなった人が着るものであったり儀式を思わせる色でもありますね。
糸そのものについては、からまったりほつれたり切れたりして複雑な人間関係をもあらわすことができる素材だと思っています。糸のインスタレーション作品を制作するときは、糸が目で追えなくなって糸というマテリアルを超越したときにはじめて作品として完成します。
吉野:なるほど、その意味で塩田様の作品は最後の最後にその完成を「個」を越えて委ねるところがあるのですね。鑑賞者に委ねるというという意味でもなく、個の表現の極限にある何か?そこに普遍的な美と創作の境界(皮膚)があるように感じました。これからもさらに大きな飛躍を期待しています。どうもありがとうございました。
《巡る記憶》 2024年、大阪中之島美術館、日本
撮影:k.yoshino
©JASPAR, Tokyo, 2025 and Chiharu Shiota
《音のない言葉》2022年、Schauwerk Sindelfingen、ドイツ
撮影:Frank Kleinbach
©JASPAR, Tokyo, 2025 and Chiharu Shiota