大阪・関西万博レガシーを考える
大阪・関西万博レガシーを考える
【プロフィール】
京都大学名誉教授・財団顧問
小林 潔司(こばやし きよし)
大阪・関西万博は、次世代産業や観光の基盤を形成する契機となっただけでなく、「いのち・健康」や環境を軸とする先端的イノベーションへの期待を高め、日本および関西の発信力を国際ネットワークの中で再確認させる場ともなった。しかし、「レガシー」という言葉には「遺産」と「時代遅れ」という二つの意味がある。したがって、1970年大阪万博の成功体験をそのまま2025年万博に重ね合わせることには慎重でなければならない。グローバル化が進み、価値観が多様化した現代において、人類共通の遺産を一つの形として残すという発想自体が、すでに時代に合わなくなっている可能性があるからである。
筆者自身も当初、万博の意義に疑問を抱いていた。だが、実際に会場を訪れることで、その印象は大きく変わった。未知の国のパビリオンはもちろん、すでに知っていると思っていた国の展示からも、その国が何を魅力として示し、どのような自己像を世界に向けて発信しようとしているのかを知る新鮮さがあった。万博とは、単に各国の技術や文化を比較する場ではない。他者や相手社会を理解するとはどういうことかを問い直す場でもある。同時に、海外からの参加者もまた、大阪・関西万博から多様なナラティブを読み取ったはずである。
いま世界中のさまざまな社会が急速に変化しつつ、それらの社会が互いにリンクされていくというグローバルな時代になっている。自分の文化的視点という幸福な孤独を保ちながら相手社会を理解しようとするだけでいい時代ではない。万博の意味は、主催者が一方向的に定めるものではなく、参加者、来場者、地域社会、そして時間の経過によって絶えず編み直されていく。
近年、日本発イノベーションのナラティブ形成は、政策上も重要視されている。気候変動、国土強靭化、経済安全保障などをめぐる政策環境が変化するなかで、私たちは過去の出来事の意味を十分に語り直してきただろうか。アーサー・C・ダントが述べたように、過去の意味は、それを後から語る行為によって構成される。大阪・関西万博の意味もまた固定的なものではなく、今後どのように語られるかによって変化し続ける。その未決定性を引き受け、語り直しの緊張感を保ち続けることこそ、万博レガシーの本質である。
さらに、生成AIの普及により、標準的な知識は瞬時に収集・編集できるようになった。だからこそ今後は、AIが提示する一般的知識を踏まえたうえで、地域性、文化的個性、独自の経験や記憶をどのようなナラティブとして結び直し、付加価値へと転換できるかが重要になる。ただし、ナラティブは当事者主義を出発点とするため、地域活性化の議論が内向きの小宇宙に閉じこもる危険もある。その限界を超えるには、小さな物語をより大きな物語へ接続すること、そして既存の物語に安住せず、新しい物語を生み出す姿勢が求められる。
その点で、リチャード・ローティが重視したネガティブ・ケイパビリティは重要な示唆を与える。それは単に答えを急がず立ち止まる態度ではない。まず支配的なナラティブを理解し、その功罪を見極めたうえで、別の可能性を探る力である。能や芸道における「守破離」に重ねるならば、ネガティブ・ケイパビリティは、現代社会における新たな守破離ともいえる。万博のレガシーもまた、過去を守り、必要に応じて破り、未来へ向けて離れていく、その動的な営みの中にこそ見いだされるべきである。