アーカイブにハマる
アーカイブにハマる
【プロフィール】
国立民族学博物館 名誉教授・財団理事
端 信行(はた のぶゆき)
1941年大阪府生。京都大学文学部卒業。 国立民族学博物館教授、京都橘大学文化政策学部教授、文化経済学会会長、兵庫県立歴史博物館館長、滋賀県平和祈念館館長を歴任。
今朝の京都新聞(6月28日朝刊)を見て、いささか驚いた。23面にでかでかと「映画資料『存続の危機』」との見出しのもとに、国立映画アーカイブが現状予算では存続が困難な状況にあるとの記事が目に入ってきた。このアーカイブは、日本でただ一つの国立の映画専門の機関である。1952年に、国立近代美術館のフィルム・ライブラリーとしてはじまり、2018年に近美から独立して、現在の組織になったという。いまでは、各種の記録映像や無声映画、劇場映画フィルムなど約9万点、脚本やポスター、映画人の遺品など関連資料100万点以上を保管している。担当の学芸課長は「映画は劇映画でも時が経つほどに映っている人たちの生の記録、ドキュメンタリーになる。映画遺産という人類の記憶を次の世代に継承したい。」と語っている。この言葉は、アーカイブの本質をついていると言えよう。
わたしはこのところ、このアーカイブというものにかかりっきりになっており、いわばアーカイブにハマってしまったとでもいう状況にある。対象は映画資料ではなく、アフリカ調査をはじめとする人類学的調査資料のデジタル・アーカイブ化である。
京都大学のアフリカ調査研究は1960年前後から始まった。正式に、文部省の調査費に基づいた組織的調査は1961年からで、類人猿(チンパンジー)調査班と牧畜民人類学調査班とで構成されていた。類人猿班の中心は伊谷純一郎さんで、ニホンザルの研究成果をもとにチンパンジー社会の調査に取り組まれたのであった。本年(2026)は伊谷さんの生誕百周年にあたるということで、弟子の方がたが中心となって、日本霊長類学の「発見」と題する研究会を催されたので、わたしも出席した。
若手のお弟子さんたちの報告は、伊谷さんをはじめ日本の霊長類学のパイオニアたちが残した膨大な一次資料(フィールド・ノートなど)をデジタル・アーカイブ化する活動のなかで各自が研究の体系化をめざしたものであった。わたしはそのことをまったく知らずに参加していたので、おおいに共感し、若い研究者の姿勢に大きな拍手を送ったのだった。
若手の研究者の報告のあと、京都産業大学の足立薫さんが登壇され、若い研究者の取り組んでいるデジタル・アーカイブ化の作業についてコメントされ、その意義について報告された。そこでは、ご自身も参加されたアーカイブ化の作業は、じつは調査の再現であり、実践化であるとのお考えを述べられた。わたしもその考えには全面的に同意できるものであり、自分が取り組んでいる人類学的調査資料のアーカイブ化を進めるうえで大いに勇気づけられた次第である。
いま、わたしが取り組んでいるアーカイブ整理は、国立民族学博物館の初代館長の梅棹忠夫さんが残された諸資料が中心で、現在は民博の文書資料室というかたちで保存・整理が続けられており、一般公開はされていない。わたしの担当は、当然のことながら、1960年代の京大調査隊の人類学的調査班の諸資料の整理が中心で、資料室のニーズにしたがって、国内外の調査資料の整理を手伝っている。なかには、大戦後すぐに今西錦司さんらと実施された農村調査の記録もあり、それらのデータの整理作業は、まさしく足立薫さんが報告されたように、あたかも自分が調査をしているかのような錯覚をしばしば体験する。その意味では、報告書や論文を読むのとは違って、調査の現場にいるかのような錯覚さえ覚えるときがある。
こうして諸資料のアーカイブ化の動きをみると、そこにはわが国の戦後80年という大きな時間の流れを思わざるを得ない。戦後の1950年代、60年代は、あらためていうまでもなく、映画の勃興期であった。大学制度も大きく変わり、そのなかから霊長類学や人類学のようなあたらしい学問分野が構築されてきた。来年は民博が開館して50周年を迎えようとしているが、民博の設立はまさに50年代、60年代の民族学・人類学の成長の結実であった。
そうした1950年代、60年代の成長の証しがさまざまな分野で見直されて、アーカイブとして注目されるようになってきた。学術の分野だけではなく、政治や経済の分野、さらには地域社会においても同じ状況にある。成長の記録や生きた証しが、それぞれの「アーカイブ」として全国で発掘、再生していく時代が到来してきたといえよう。
@国立民族学博物館 minpaku.ac.jp