文楽の大阪と浄瑠璃の継承 ー豊竹座創設以来の伝統をつなげる人育ての活動ー
文楽の大阪と浄瑠璃の継承 ー豊竹座創設以来の伝統をつなげる人育ての活動ー
於:大阪黒門市場「末廣軒」練習会場
【プロフィール】
豊竹 若太夫(Wakatayu Toyotake)
1947年大阪生まれ。昭和42年三代竹本春子太夫に入門し、豊竹英太夫を名乗る。昭和43年大阪毎日ホールで初舞台。44年から四代目竹本越路太夫門下に。平成29年に六代豊竹呂太夫を襲名。令和4年に太夫の最高位「切場語り」に昇格。令和6年4月に十一代目豊竹若太夫を襲名。主な受賞歴は、平成29年第47回JXTG賞(元モービル音楽賞)「邦楽部門」、平成15年及び平成30年に国立劇場文楽賞文楽優秀賞、令和元年に第54回大阪市市民表彰。令和4年に文化庁長官表彰。
話し手:豊竹若太夫 文楽太夫 第11代
聞き手:吉野国夫 (一財)大阪地域振興調査会 常務理事
練習会場スナップ
吉野:本日はありがとうございます。
私共が実施した「上町台地芸術フォーラム2022」での特別公演では大変お世話になりました。また、先日は国立文楽劇場で開催されました「第10回瑠璃の会」で、ご挨拶させて頂きましたが、大阪女義太夫塾修了生が初舞台を務められました。この人たちの稽古も若太夫さんが面倒みられていたそうですね。
若太夫:そうです。この稽古はもう20年ほど前からやっていますが、素人からプロデビューした人も数人います。見ての通り小さなスペースですが、じっくり稽古できるので助かっています。
吉野:この会は現在「はなつる会 義太夫教室」というのが正式名称と思っていますが、発足のきっかけについてお教えください。
若太夫:もう亡くなられた落語家の桂吉朝さん、米朝さんのお弟子さんですが、その人から「浄瑠璃を教えてくれませんか」と来られたのがきっかけです。最初は14〜15人で集まってマンションの会議室みたいなところでスタートしました。桂吉朝一門の人たちが中心でしたが、一般の人も混じっての会でした。露の五郎兵衛さんや桂南光さん等も来られていました。
吉野:今考えるとすごい人たちが育っていったのですね。実は私もその頃の英太夫(現若太夫)さんに「浄瑠璃の発声」の真似事を教わった事があります。「おおさか21会」という異業種交流サロンでお話を聞かせて頂いたのですが、いきなり、「ととさんの名は十郎兵衛・・・」と書いた紙を渡されて声を出せ!と最初は棒読みみたいな声でしたが、最後は「腹の底から声を出す」とはこういうことか、と驚いた経験があります。また、美術評論家の建畠哲さん(多摩大学学長)と面談したとき、詩の朗読会で声がふらふらしているのを旧友の呂太夫さんに咎められ、自宅に行って猛特訓していただき、今の声になった。と感謝されていました。
若太夫:なつかしい話ですね。当時は経済界や企業の小さな集まりにも出かけて行って浄瑠璃を体験してもらおうと良くやってましたね。その頃から身内だけの芸修行にとどまらず、一般の人をどんどん巻き込まないとダメだ。という気持ちでこの会も続けてきたんです。
吉野:先日の瑠璃の会を観た時、初期のころからは段違いにレベルが上がったような印象を受けました。10年ほど前の瑠璃の会発足の時、和田弁護士にお声掛け頂き応援団に入れてもらったのですが、公演の最後に各人のエピソードを聞いていて本当に良かったと思ったところです。
第10回瑠璃の会(瑠璃の会公式HPを一部加工)
若太夫:女義太夫は昔は、東京でも大阪でも盛んでしたが、大阪では衰退しほとんど消えかかったときがありました。その頃に、会を主宰されている竹本土佐恵さんが大阪でも女義太夫を育てたい。と動かれたのが発端です。当時、鶴澤清介さんが稽古をされていて、清介さんから僕に「素人の女の人を教えてはりますが、その中で優秀な人を女義太夫にしてくれませんか」と相談されたのがはじまりです。元々女の弟子を持つなんて思いもしなかったので、勘弁してくれと断ったのですが、熱心に口説かれて2人を弟子にしました。
吉野:その当時からすると、20年近くになりますが、当時の人と今の状況を較べられてどうでしょうか。
若太夫:それはもう驚くほど成長しましたね。全国的に見ても女義太夫の人が文楽太夫から直接稽古してもらう事はあまりありません。大阪では僕が弟子を直接指導しているので、やはり違いが出来てくるのかもしれません。
吉野:それは画期的な事ですね。彼女たちも熱心に取り組んできたからこそでしょうが、20年間の若太夫さんの努力が実ったのだと思います。ところで彼女たちの発表はどうされていますか。
若太夫:東京でも淡路島でも素人の大会がありますが、大阪では「はなつる会義太夫教室」の発表会を毎年やっています。5年10年と続けている人もいますが、長い人は20年くらいやっています。
吉野:一見して女性が多いように思いますが、将来プロの太夫にデビューできる可能性はあるのでしょうか?
若太夫:それは当人の努力次第です。ただ、現在のところ女性は国立文楽劇場傘下の文楽協会には入れませんが、社団法人義太夫協会に所属して活躍されています。
道頓堀芝居の復活と道頓堀五座の顕彰
若太夫座のあった街並みの今
吉野:ところで、先日松竹座の閉館がありました。上方歌舞伎そのものは継続することとなっていますが、あのシンボリックな建物が無くなるのは大変残念です。浄瑠璃も江戸時代から大変な人気で、道頓堀はその象徴的な場所でした。初代の若太夫は元禄16年(1703年)に竹本座から独立し、その艶やかな芸風で大人気を博し、竹本座の西風に対し東風と呼ばれ黄金時代を迎えたと言われています。残念ながら今の道頓堀にその痕跡を探してもどこにあるのか全く分かりません。
若太夫:芝居のルーツが道頓堀だという事もだんだん忘れられてきましたが、6〜7年ほど前に「道頓堀ミュージアム並木座」という大阪の伝統芸能専門の展示室兼小劇場が出来ました。私も招かれて出演した事があります。
吉野:並木座のオーナーの山根さんとは昔から懇意で、昨年のEXPO2025の「ステージ南」会場でご一緒に「器×伝統芸能」という催しをやりました。彼とも良く話しますが、せっかく道頓堀の芝居の伝統があるのに往時のイメージが出来ないのは情けない。私としては顕彰碑か謂れを書いた案内板でもあったらよいのにと思っています。
19世紀前期の道頓堀五座
『浪華名所獨案内』関⻄⼤学図書館蔵
若太夫:確かに大阪はそうした歴史がいっぱいあるのに、あまり大事にしません。過去ばかり見ていても仕方ありませんが、若い人や遠くからの観光客が大阪の文楽を知って興味をいだくきっかけになることを願っております。
吉野:私自身は義太夫が好きでその次が三味線、人形となりますが、最近は文楽イコール人形というイメージをもつ人が多い。映像時代なので仕方ないと思う反面、アニメソングや声優の世界的流行を思うと義太夫が世界的な舞台になる可能性は大いにあると思います。
若太夫:浄瑠璃のすばらしさが伝わっていない、と感じる事も時々あります。実は素浄瑠璃の会という活動を長年続けてきまして、来月の7月4日には第29回となる「文楽素浄瑠璃の会」(国立文楽劇場)が催されます。
こうした地道な活動を続けていくことこそ重要なんです。もちろん私も「80歳になってもさらに進化する」との信念をもって太夫人生を送っていきたいと思います。
吉野:まだまだお聞きしたいですが、時間がきてしまいました。若太夫さんのさらなるご活躍と長寿を願ってこのインタビューを終えたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
了 文責事務局